高市早苗(たかいち さなえ)さんは、自民党所属の衆議院議員です。
奈良県出身で、1993年に初当選して以降、複数の大臣職を歴任しています。
特に総務大臣としての経験があり、ITや通信政策にも力を入れてきました。
そんな高市早苗さんは、2024年9月9日に出馬表明記者会見を予定しており、今後の展開が注目されています。
高市早苗さんはどんな人物なのか気になりますね。
この生地では、高市早苗さんの身長や体重、経歴と学歴、プロフィールや家系図、家族構成、そして注目される英語力について詳しく紹介します。
目次
高市早苗の身長と体重は?
出典:Instagram
高市早苗さんの身長と体重は以下のとおりです。
高市早苗さんの身長は公式に公表されていないため、正確な情報は見つかりませんでしたが、ネット上では高市早苗さんの身長は157、8cm前後であると推測されます。
なぜなら、平沢勝栄さんと並んだ画像を見ると平沢勝栄さんは身長163cm前後と思われますが、高市早苗さんは7cm 前後のヒールを履いているので、平沢勝栄さんの身長よりさらに低くなるからです。
高市早苗さんの体重に関しても、公式には公表されていませんでしたが、158cm の方の理想体重は53kgとされてます。
高市早苗さんは標準体型に見えることから、高市早苗さんの体重は53kg前後と思われます。
高市早苗のプロフィール
高市早苗のプロフィールは以下の通りです。
- 名前:高市早苗
- 生年月日:1961年(昭和36年)3月7日
- 年齢:63歳
- 出身地:奈良県
- 血液型:A型
- 高校:奈良県立畝傍高校卒業
- 大学:神戸大学経営学部経営学科卒業(経営数学専攻)
- (財)松下政経塾卒塾
- 米国連邦議会Congressional Fellow(金融・ビジネス)
- 近畿大学経済学部教授(産業政策論・中小企業論)
高市早苗代議士になるまで
高市早苗さんは、30歳位のときにアメリカでCongressional Fellowとして働きました。
1984年に神戸大学経営学部を卒業後、松下政経塾で学んだのち、1987年頃にアメリカへ渡り、約2年間Congressional Fellowとして活動していたそうです。
高市早苗さんは大学卒業後の1984年4月松下政経塾に入塾し、パナソニック創業者の松下幸之助から1990年以降に起こり得る大きな変化(安全保障の枠組み、産業構造、日本経済等)についての予測を学びました。
1987年10月、アメリカへ渡りCongressional Fellow(金融・ビジネス)として勤務します。
その後日本に帰国し松下政経塾を卒塾。日本経済短期大学の助手になりました。
引用元:https://seikeihyakka.com/
高市早苗の家系図は?
高市早苗さんの家系図は以下の通りです。
高市早苗さんは父親の大林さんと母親和子さんの間に生まれました。
兄弟は6歳年下の弟・友嗣(ともつぐ)さん。
自民党本部の職員 → 高市早苗の秘書 → 山本拓の秘書 → 高市早苗の秘書と国政の仕事をしています。
高市早苗の家族構成は?
出典:高市早苗HP
高市早苗さんの家族構成は以下の通りです。
上の画像はお父さんと1歳の時、奈良公園で写した写真だそうです。
厳しそうなお父さんかと思いきや、すご〜く優しそうなお父さんですね。
- 父親: 高市大休さん(だいきゅう) サラリーマンとしてメーカー勤務。2013年に79歳で他界。
- 母親: 高市和子さん(かずこ) 奈良県警察に勤務していた。2018年に86歳で他界。
- 弟: 高市友嗣(ともつぐ)さん 自民党本部の職員を経て、高市早苗さんや山本拓さんの議員秘書を務めています。
高市早苗の父親:高市大休(だいきゅう)
高市早苗大臣の父親は、高市大休(だいきゅう)さんです。
設備機械メーカーで営業をしていた父も、顧客から相談を受けると、真夜中であろうが日曜日であろうが、遠方までも車で駆け付けていました。
実直に勤勉に働くことの尊さは、両親の後ろ姿から学びました。引用:高市早苗公式ウェブサイト コラムより
高市早苗さんの父親はすでに他界されていますが、生前は高市早苗さんの政治活動を応援されていたそうです。
俺の退職金は、選挙費用の足しに全部使ってよい。イライラせずにやれ。自信を持って!
握手、お辞儀を忘れるな。気楽にやれ。引用;引用:高市早苗公式ウェブサイト コラムより
高市早苗さんは父の手紙のおかげで出馬表明をする決心をし、その後見事にトップ当選しました。
高市早苗の母親:高市和子
高市早苗大臣の母親は、高市和子さんです。
高市和子さんは、奈良県警に勤務していたようですが警察官ではなかったようです。
事務職員だったのかも知れませんね。
子育てや祖父の世話で大変な時期にも、夜遅くまで家事をこなし、朝は誰よりも早く職場に着いて、同僚の机を拭いて花を活けることは、職業人としての母のプライドでした。
引用元:高市早苗公式ウェブサイト コラム
高市早苗さんが20代で大学教員として働き始めた頃、
偶然、貴女が討論番組に出ているのを観たけれど、どんなに考え方が違う方と議論しても、相手を追い詰めないこと。必ず逃げ道を残して、相手の面子を潰さないように女性らしい気遣いをしなさい
引用元:高市早苗公式ウェブサイト コラム
と、お母さんに電話で叱られたそうです。
高市早苗さんの母・和子さんは2018年4月に86歳で他界されています。
ご両親から相手のことを思いやる気持ちを大切にするよう学ばれてきたのですね。
高市早苗の弟:高市知嗣(ともつぐ)
高市早苗さんの弟は高市知嗣さんです。
高市早苗さんより6歳年下です。
もともと自民党本部の職員として勤務していましたが、途中から高市早苗さんの秘書になります。
しかし、2003年に高市早苗さんが衆議院選挙で落選したため、山本拓さんの議員秘書も務めていました。
その後も、友嗣さんは再び高市早苗さんの秘書として働いています。
高市早苗の結婚歴は!
桂由美先生の御逝去を悼みます。
偉大なご功績に敬意を表し、深い感謝の気持ちとともに、ご冥福をお祈り申し上げています。… pic.twitter.com/sN2SBVbvzV— 高市早苗 (@takaichi_sanae) May 1, 2024
高市早苗さんと山本拓さんの結婚のきっかけは、2003年の衆議院選挙で高市さんが落選したことが大きな転機となりました。
この挫折の中で、山本さんは高市早苗さんに対して精神的な支えとなり、励ましの電話が二人の関係を深めるきっかけとなりました。
高市早苗さんは、2004年に自身の公式サイトで結婚を発表し、43歳でついに「奇特な引き取り手が現れた」と少し照れながらも喜びを表現しています。
しかし、二人の結婚生活は長く続かず、2017年に離婚に至ります。
政治的なスタンスの違いや、互いのキャリアが原因となり、夫婦間の関係に影響を及ぼしたと言われています。
それにもかかわらず、2021年には再び再婚することになり、二人の関係が新たな形で続いていくことが確認されました。
再婚後、山本さんは高市早苗さんの活動をサポートする立場に立ち、二人の絆は再び強まりました。
このように、彼らの関係は波乱万丈ではありますが、深い信頼と愛情に基づいていることが伺えます。
高市早苗の英語力は?
高市早苗さんは、英語力がスゴイことでも知られています。
高市早苗さんはアメリカの連邦議会で「Congressional Fellow」として勤務した経験があり、この期間にアメリカの政治や法律、政策形成に直接関わりました。
この経験から、英語でのコミュニケーションや政策に関する議論ができるほどの高いスキルを持っているとされています。
また、国際的な会議やインタビューにおいても、英語で対応する場面が見られ、高市早苗さんの英語力は国際的な視点から政策を考える能力を持っていることが伺えます。
なので、彼女の英語力は、アメリカ滞在時の経験と共に、国際的な政治の場で活かされていると言えます
まとめ
今回は、高市早苗さんの身長や体重、経歴と学歴、プロフィールや家系図、家族構成そして高市早苗さんの英語力などを詳しくご紹介しました。
身長・体重:高市早苗さんの身長や体重は公式には公表されていません。
推測で157〜158cmで53kgぐらい。
学歴:奈良県立畝傍高等学校を卒業後、神戸大学経営学部に進学し、1984年に卒業。
松下政経塾に入塾し、政治やリーダーシップを学ぶ。
経歴:高市さんは1987年頃にアメリカで約2年間、「Congressional Fellow」としてアメリカ連邦議会で働き、国際的な政策形成の経験を積みました。
1993年に衆議院議員に初当選し、以降も日本の政治に深く関わり続け、総務大臣や自民党の要職を歴任。
総務大臣としては、放送・通信政策や行政改革などに取り組みました。
家系図・家族構成:高市さんは4人家族で、両親と弟がいます。
父親: 高市大休さん(だいきゅう) – メーカー勤務のサラリーマン。2013年に79歳で他界。
母親: 高市和子さん – 奈良県警察に勤務していた。2018年に86歳で他界。
弟: 高市友嗣(ともつぐ)さん – 彼は自民党本部職員を経て、高市早苗さんや元夫である山本拓さん(衆議院議員)の議員秘書を務めています。
英語力:高市早苗さんの英語力は非常に高く、アメリカでCongressional Fellowとして働いた経験から、英語でのコミュニケーションや政策議論ができる能力を持っています。
国際的な会議でも英語を使って対応しており、国際的な視点から日本の政策形成に貢献しています。
高市早苗さんは、国際的な経験を背景に、国内外で政治的な影響力を発揮しており、日本の将来に向けた政策を積極的に推進しています。
今後は外交面にも力を入れて、より一層政治活動を頑張ってほしいですね!